御船屋敷から津田宿まで
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1 御船屋敷

1 御船屋敷

1 御船屋敷 「津和野藩御船屋敷」は、元和六年(1620)に津和野藩が広島藩より廿日市市桜尾城西側に土地を借り「船着ノ蔵屋敷」として始まり、その後寛永元年(1736)に「御船屋敷」として整備されたものです。
江戸時代の津和野藩では、石州和紙の交易や参勤交代の拠点として大変重要な施設でした。 関船、小早船、荷船など併せて23隻が係留されていたようです。
御船屋敷は治外法権など特権はなく、廿日市町民と同様に広島藩の法を守り廿日市町民の生活に融合していたようです。 (島根県歴史の道調査報告書参考)

2 廿日市宿駅本陣跡

2 廿日市宿駅本陣跡

廿日市本陣跡・廿日市本陣前 廿日市本陣は寛永時代に設けられ、慶応二年(1866)の長州の役で消失するまで宿場の中核としてその威容を誇っていたようです。
廿日市公民館前にその石碑があります。(碑文より)
また、本陣前の正覚院には旅の守り神である十王堂があります。

3 専念寺前一里塚

3 専念寺前一里塚

宮内一里塚跡 廿日市市宮内専念寺前には一里塚があったとされる石碑が建てられています。

4 砂原大橋

4 砂原大橋

砂原大橋・砂原石標 津和野街路の起点は諸説ありますが、芸藩通志の地図や古い宮内公民館の地図、及び土地の古老の話などからこのサイトではこの「砂原大橋」を起点としています。
写真は砂原大橋と分かれ道にあった石の標識です。

5 汐見坂・峠(宮内村峠村境界)

5 汐見坂

明石峠・峠村境 ここ明石峠に向かう道は汐見坂と呼ばれています。 後方に見える瀬戸内海の風景からと思われますが、この場所は折敷畑の合戦など古戦場としての歴史が残ります。 また唯一残る古道沿いには一里塚の石碑があります。
明石峠には宮内村と峠村の村境の石碑が建てられています。 この峠を越えると栗栖までは平坦な道で旅人はほっとした瞬間であったように思えます。

6 旧道・正念寺別れ

6 旧道・正念寺別れ

正念寺の標識 峠を越えるとはるか前方に羅漢山が見えます。羅漢山は標高1,109m、街道は山の右側の標高約960m(生山峠)を通過しています。 津和野街道一番の難所です。ここから友田までは右の山すそ、友田で川を渉り鷹ノ巣山方面へ向かいます。
正念寺の角には「左つわの道、右おおむし道」と言う石の標識が残ります。街道はここから左へ曲がります。

7 津田宿駅・十王堂(山代街道別れ)

7 津田宿駅、十王堂(山代街道別れ)

津田・十王堂 街道は津田に向かって左の山すそを通り、十王堂で現在の県道と合流します。
津田は津和野街道の宿駅で伝馬十頭が置かれ宿場として賑わっていたようです。 当時の津田の呼び名は十王堂とも呼ばれていたようです。 源吾旅日記(赤川武助)と言う小説の中では「十王堂に泊まる」と書かれています。
十王信仰は中国から伝わり鎌倉時代に広まった信仰です。 十王とは閻魔王を代表とした、 秦廣王・初江王・栄帝王・五官王・変成王・秦山王・平等王・都市王・王道転輪王の十人の王達、道を裁くの意味からか宿場の結界、厄除けとして宿場にあります。
また津田十王堂は長州藩萩へ通じる山代道(山代街道)への別れ道(起点)でもあります。

津田宿⇒大原宿 大原宿⇒六日市宿 六日市宿⇒津和野 津田宿⇒大原宿 大原宿⇒六日市宿 六日市宿⇒津和野 御船屋敷 廿日市本陣跡 宮内一里塚 砂原大橋 明石峠・峠村境 正念寺別れ 津田宿・十王堂