街道について

「街道とは」こんな疑問を持たれるかたも多いと思います。
街道の始まりは五畿七道ですが制定の年代は大化の改新以前とも言われ、確実なものがなくここでは西暦600年代とします。 七道とは山陽道、東海道、東山道、北陸道、山陰道、西海道、南海道、五畿とは大和(奈良)、山城(京都)、泉(大阪)河内(大阪)摂津(大阪)です。
中でも山陽道は大路、九州の大宰府まで当時の日本では最大の街道(官道)として整備されました。それが街道の始まりです。 ですから、山陽道は日本で一番最初に国に認定された官道(国道)でしょう。
江戸時代までは「秀吉の山陽道の大返し」など、山陽道と呼ばれ重要な街道でしたが時代は徳川となり、主要街道は江戸からの東海道や奥州街道などの五街道、山陽道はそれに次ぐ街道となりました。
そして、江戸時代においては徳川幕府が山陽道を西国道とし、広島藩では西国道として扱ったため、現在も広島県(広島藩)では西国街道と呼びます。山口県では山陽道と呼ばれ扱われています。

宿駅と宿場

宿駅と宿場

街道には宿駅が置かれ、廿日市は西国道の宿駅で伝馬が15頭、津和野街道の宿駅は津田と大原と六日市が指定され、津田には馬10頭、大原には馬3頭、六日市(不明)であったようです。 伝馬(てんま)とは役目として宿駅と宿駅を結ぶ荷物の運搬などを行っていました。
この江戸時代の伝馬(てんま)と駅馬(えきうま)の制度から現在の駅伝(えきでん)の名前が生まれています。
また街道には宿場や本陣が整備され、参勤交代や人の往来に備えられていました。
津和野街道の本陣は廿日市市栗栖、岩国市錦町大原、島根県吉賀町六日市、宿場としては津田十王堂、吉賀町田野原、六日市、柿木などですが、街道沿いの民家は現金収入の道として旅人を泊めていたようです。
頼杏坪(らいきょうへい)の遊石稿では「投宿」と表現されています。 その他、ところどころに遊び場(浮業)などもあったようです。

本陣

本陣

本陣は別名「御茶屋」とか「御茶屋本陣」と表現されていますが、本陣は大名や幕府役人などの宿泊の場所ですが、そうした人たちの朝食や昼食の場所や旅での身支度を整えたり休憩などにも利用されていためです。
また、本陣と本陣の間には「かご立て場」と呼ばれる小さい休憩所も置かれていました。 西国街道や東海道など主要街道は、多くの大名が利用するため本陣の他に脇本陣が置かれ、格式の高い方が本陣に宿泊していたようです。

参勤交代と航路

参勤交代と航路

西日本(中国、九州)の大名の参勤交代は、瀬戸内では殆んどが海路利用であったため、九州の大名は大分市、長州藩は防府市、浜田藩は広島市草津、そして津和野藩が廿日市市に屋敷を持っていました。
当時ではまだ海の航行は潮や風の利用、干満の大きな内海では潮の流に乗って航海していたため、鞆や御手洗など「潮待ち港」が栄えることとなりました。

御船屋敷⇒津田宿 津田宿⇒大原宿 大原宿⇒六日市宿 六日市宿⇒津和野 御船屋敷⇒津田宿 津田宿⇒大原宿 大原宿⇒六日市宿 六日市宿⇒津和野